日常/映画/音楽/其の他見たもの聞いたもの、頭の中の声/等々、雑文日記。
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24日の日曜日、彦根は佐和山へ登って参りました。
佐和山は石田三成の居城、佐和山城があった所。かつて「三成に過ぎたるもの」として、島左近と並び歌われた城であります。関ヶ原の後に廃城となり、建物は石垣に至るまで徹底的に破却されたそうな。
そういう訳ですので、現在山には何も御座いません。
何も無くても浪漫は有るよね! と言うわけで急に思い立って独りで行って来ました。
彦根は二回目ですので、駅前の井伊直政像は軽くスルーしていざ佐和山へ。
駅から住宅街を歩く事20分ほどで、「佐和山城址」ってでかでかと書いた看板が見えて来ました。
先ずは山の麓の清涼寺へ。

今は井伊家の菩提寺となっていますが、此処は元は石田三成の家臣、島左近の屋敷があった場所なんだそうです。
写真は完全に見切れてますが、左に生えているタブの木は樹齢700年だかで、左近の屋敷にあったものではないかと言われているそうです。おおおお。
若しかしたら此の木の下に左近が立っていたりしたのだろうか。
此処は佐和山上の丁度裏手。昔は此のすぐ前まで内湖が迫っていたそうな。

清涼寺の隣の龍潭寺。入り口で石田三成像がお出迎えです。
後輩に此れ見せたら「ちょこんと座って、控えめなんですね」って言われました。控えめな殿! いやでも、駅前の馬に乗ってる井伊直政に比べたら確かに控えめよね。

龍潭寺のお庭。此処には枯山水と此の池のお庭の二つがあります。静かで良いお庭でした。
此処は後ろの佐和山を借景にしています。紅葉にはまだ早かったけど、此れは色付いたら相当綺麗でしょうな。
お庭をぼーっと見てたら、白地に裾だけが赤い見た事の無い蝶々が飛んで来た。
・・・正直、刑部以外の何者も出てこなかったよ蝶々さん・・・ッ。屹度あれ刑部だと言い張る。

暗いですが、此れは佐和山城にあった鐘楼だそうです。マジか。
龍潭寺には他にも、桃山時代の引き戸があったんですが、それも佐和山城から持ってきたものらしいです。此の辺りのお寺や、彦根城の一部には佐和山城の遺構が結構移築・転用されていると言われていますねー。
余談ですが此のお寺、奥まった薄暗い廊下で三成縁のパネル展示をしていました。関ヶ原関連の絵巻や、三成の刀や、他所のお寺に収められている書状の写真。
いや、本当に薄暗いし位牌の前だしで、相当怖かったです(笑。
ただ其の中に、三成の頭蓋骨の写真があったのは一寸感激いたしました。残ってたんだ骨! 明治時代に大徳寺三玄院のお墓を調査した結果だそうですが、あああ本人のものだったら良いなあ!!
さて、此処からいよいよ佐和山登りです。
独りでひょっこり行ったら、龍潭寺の前でボランティアガイドの方に声を掛けられ、折角だから御案内いただくことにしました。
登山口が思いっきり龍潭寺の裏手です。話には聞いていましたが、本当にお寺の墓地を突っ切って山登り開始です。
5分も登らない内に、結構本格的なハイキングコースに早変わりです。此れは舐めて掛かると痛い目を見るレベル。ガイドさんのお話では、こうして登り易い道が整備されたのも此処数年の事なんだそうです。其れまでは知る人ぞ知る、来たい人だけ勝手に来る、荒れた城址だったって事らしい。
今は山中の整備と同時に調査が進められているのだとか。現在整備されているハイキングコースは城の裏から登る道ですが、其の内本丸を正面から登る道とか出来るかも知れないですね。
しばらく行くと一寸開けた場所へ。
写真撮るの忘れましたけど、塩硝櫓址と標識がありました。読んで字の如く、塩と火薬を入れておく櫓がここにあったのだと。ガイドさん曰く、
「此の辺り、瓦が落ちているでしょう。此れは400年前の瓦ですよ」
言われて見れば、確かにいっぱい欠片が落ちてました。おおおおお。震えるわ此れ。
此処から本丸正面の斜面が見えました。あのね、何処から如何登ったのかという急斜面でしたよ。此れが正面じゃあそりゃ難攻不落だわなあ・・・といたく納得。
此処からまた歩く事しばし。

頂上に着きました!
とはいえ何も無い。この碑がぽつんとある他は、お地蔵さんくらいしか見当たらなかった。
お地蔵さんには三成ラベルの地ビールと、何故か眼鏡が供えてありました。・・・如何した此の眼鏡。
此処に五層の天守閣が建っていたのだろうな。三成と左近の作り上げた城。当時はどんなに勇壮な城だったろうな。
今はイロハモミジが沢山、青い葉を揺らしていました。本当に、あともう少ししたら真赤になって綺麗だろうなあ。紅葉の季節にまた是非来てみたい。

小さいですが、写真の真ん中辺りが彦根城。佐和山の方が彦根城よりも100m位高い。完全に山城ですね。あっちは平山城。たった2kmしか離れていないのに、随分小さく見えました。
つうか此処まで来るの大分しんどかったんだけど、表からとはいえ刑部は登って来るの大変だったんじゃなかろうか。輿か?輿なのか?部下が大変だなあ。ご苦労様です。

頂上から一寸先へ下った所にある、千貫の井。山では貴重な水源、千貫の銭にも代えられぬ、という事で名付けられたそうな。殿かな。殿が名付けたのだったかな。
今も水が湧いている・・・のですが、丁度落ち葉の季節だった為、ただの落葉溜まりと化していました。おおう。
此処はJR彦根駅から山を見上げると、見えるそうです。

これは本丸の隅石垣の一部と考えられているそうです。
石垣は彦根城建築の折に持って行かれたと言われているのですが、何で此の二つの石だけここに残っているのか、不思議な光景。近くで見たけど立派な石でしたよ。
ただ、言われなかったら絶対判らないよね。夏だったらもっと草が生い茂ってて更に判らないよね。
あと、佐和山城落城の折、城内に立て篭もっていた婦女子が身を投げたという谷も案内されました。三日三晩すすり泣く声が聞こえたとか、そういう話。近江の昔話で読みました。
切り立った斜面で、しかも本丸のすぐ横手。ああ・・・これはなあ・・・という感じでした。

再び頂上付近へ。さっき彦根城を見ていたのとは反対の方向。
真ん中に見える高い山が伊吹山。其の向こうは関ヶ原です。
なんだか思っていたよりも近くないか関ヶ原!?
400年前、あの向こうから三成は此の辺りまで落ち延びてきたんですよね。生米食べておなか壊してまで。しんどかっただろうなあ。
そしてガイドさんと一緒に、来た道を引き返して下山終了です。
道すがら、色々お話を聞けて楽しかった。左近邸のタブの木の話も、ガイドさんに教えて頂いたのでした。
あと、昨日も私みたいな女性のグループが来て、キャッキャ言いながら登ってたよ、とにこやかに教えてくださいました。おお、同志が居るよ・・・!
やっぱり女の子のお客さん多いみたいです。凄いなあ三成人気。

オマケ。この日は彦根市街でゆるキャラ祭が開催されていましたので、ついでにぐるっと回って来た。
さこにゃんとみつにゃんとにゃんぶvvv
雨降ってたので殿はビニール被っちゃってましたけども。
お土産に三成ラベルの日本酒とか、さこにゃんのカップ酒とか、しこたま買いました。家に届いたらウキウキ飲んでいると思いますv
長々と此処までお付き合いくださいまして、有難う御座いました!
佐和山は石田三成の居城、佐和山城があった所。かつて「三成に過ぎたるもの」として、島左近と並び歌われた城であります。関ヶ原の後に廃城となり、建物は石垣に至るまで徹底的に破却されたそうな。
そういう訳ですので、現在山には何も御座いません。
何も無くても浪漫は有るよね! と言うわけで急に思い立って独りで行って来ました。
彦根は二回目ですので、駅前の井伊直政像は軽くスルーしていざ佐和山へ。
駅から住宅街を歩く事20分ほどで、「佐和山城址」ってでかでかと書いた看板が見えて来ました。
先ずは山の麓の清涼寺へ。
今は井伊家の菩提寺となっていますが、此処は元は石田三成の家臣、島左近の屋敷があった場所なんだそうです。
写真は完全に見切れてますが、左に生えているタブの木は樹齢700年だかで、左近の屋敷にあったものではないかと言われているそうです。おおおお。
若しかしたら此の木の下に左近が立っていたりしたのだろうか。
此処は佐和山上の丁度裏手。昔は此のすぐ前まで内湖が迫っていたそうな。
清涼寺の隣の龍潭寺。入り口で石田三成像がお出迎えです。
後輩に此れ見せたら「ちょこんと座って、控えめなんですね」って言われました。控えめな殿! いやでも、駅前の馬に乗ってる井伊直政に比べたら確かに控えめよね。
龍潭寺のお庭。此処には枯山水と此の池のお庭の二つがあります。静かで良いお庭でした。
此処は後ろの佐和山を借景にしています。紅葉にはまだ早かったけど、此れは色付いたら相当綺麗でしょうな。
お庭をぼーっと見てたら、白地に裾だけが赤い見た事の無い蝶々が飛んで来た。
・・・正直、刑部以外の何者も出てこなかったよ蝶々さん・・・ッ。屹度あれ刑部だと言い張る。
暗いですが、此れは佐和山城にあった鐘楼だそうです。マジか。
龍潭寺には他にも、桃山時代の引き戸があったんですが、それも佐和山城から持ってきたものらしいです。此の辺りのお寺や、彦根城の一部には佐和山城の遺構が結構移築・転用されていると言われていますねー。
余談ですが此のお寺、奥まった薄暗い廊下で三成縁のパネル展示をしていました。関ヶ原関連の絵巻や、三成の刀や、他所のお寺に収められている書状の写真。
いや、本当に薄暗いし位牌の前だしで、相当怖かったです(笑。
ただ其の中に、三成の頭蓋骨の写真があったのは一寸感激いたしました。残ってたんだ骨! 明治時代に大徳寺三玄院のお墓を調査した結果だそうですが、あああ本人のものだったら良いなあ!!
さて、此処からいよいよ佐和山登りです。
独りでひょっこり行ったら、龍潭寺の前でボランティアガイドの方に声を掛けられ、折角だから御案内いただくことにしました。
登山口が思いっきり龍潭寺の裏手です。話には聞いていましたが、本当にお寺の墓地を突っ切って山登り開始です。
5分も登らない内に、結構本格的なハイキングコースに早変わりです。此れは舐めて掛かると痛い目を見るレベル。ガイドさんのお話では、こうして登り易い道が整備されたのも此処数年の事なんだそうです。其れまでは知る人ぞ知る、来たい人だけ勝手に来る、荒れた城址だったって事らしい。
今は山中の整備と同時に調査が進められているのだとか。現在整備されているハイキングコースは城の裏から登る道ですが、其の内本丸を正面から登る道とか出来るかも知れないですね。
しばらく行くと一寸開けた場所へ。
写真撮るの忘れましたけど、塩硝櫓址と標識がありました。読んで字の如く、塩と火薬を入れておく櫓がここにあったのだと。ガイドさん曰く、
「此の辺り、瓦が落ちているでしょう。此れは400年前の瓦ですよ」
言われて見れば、確かにいっぱい欠片が落ちてました。おおおおお。震えるわ此れ。
此処から本丸正面の斜面が見えました。あのね、何処から如何登ったのかという急斜面でしたよ。此れが正面じゃあそりゃ難攻不落だわなあ・・・といたく納得。
此処からまた歩く事しばし。
頂上に着きました!
とはいえ何も無い。この碑がぽつんとある他は、お地蔵さんくらいしか見当たらなかった。
お地蔵さんには三成ラベルの地ビールと、何故か眼鏡が供えてありました。・・・如何した此の眼鏡。
此処に五層の天守閣が建っていたのだろうな。三成と左近の作り上げた城。当時はどんなに勇壮な城だったろうな。
今はイロハモミジが沢山、青い葉を揺らしていました。本当に、あともう少ししたら真赤になって綺麗だろうなあ。紅葉の季節にまた是非来てみたい。
小さいですが、写真の真ん中辺りが彦根城。佐和山の方が彦根城よりも100m位高い。完全に山城ですね。あっちは平山城。たった2kmしか離れていないのに、随分小さく見えました。
つうか此処まで来るの大分しんどかったんだけど、表からとはいえ刑部は登って来るの大変だったんじゃなかろうか。輿か?輿なのか?部下が大変だなあ。ご苦労様です。
頂上から一寸先へ下った所にある、千貫の井。山では貴重な水源、千貫の銭にも代えられぬ、という事で名付けられたそうな。殿かな。殿が名付けたのだったかな。
今も水が湧いている・・・のですが、丁度落ち葉の季節だった為、ただの落葉溜まりと化していました。おおう。
此処はJR彦根駅から山を見上げると、見えるそうです。
これは本丸の隅石垣の一部と考えられているそうです。
石垣は彦根城建築の折に持って行かれたと言われているのですが、何で此の二つの石だけここに残っているのか、不思議な光景。近くで見たけど立派な石でしたよ。
ただ、言われなかったら絶対判らないよね。夏だったらもっと草が生い茂ってて更に判らないよね。
あと、佐和山城落城の折、城内に立て篭もっていた婦女子が身を投げたという谷も案内されました。三日三晩すすり泣く声が聞こえたとか、そういう話。近江の昔話で読みました。
切り立った斜面で、しかも本丸のすぐ横手。ああ・・・これはなあ・・・という感じでした。
再び頂上付近へ。さっき彦根城を見ていたのとは反対の方向。
真ん中に見える高い山が伊吹山。其の向こうは関ヶ原です。
なんだか思っていたよりも近くないか関ヶ原!?
400年前、あの向こうから三成は此の辺りまで落ち延びてきたんですよね。生米食べておなか壊してまで。しんどかっただろうなあ。
そしてガイドさんと一緒に、来た道を引き返して下山終了です。
道すがら、色々お話を聞けて楽しかった。左近邸のタブの木の話も、ガイドさんに教えて頂いたのでした。
あと、昨日も私みたいな女性のグループが来て、キャッキャ言いながら登ってたよ、とにこやかに教えてくださいました。おお、同志が居るよ・・・!
やっぱり女の子のお客さん多いみたいです。凄いなあ三成人気。
オマケ。この日は彦根市街でゆるキャラ祭が開催されていましたので、ついでにぐるっと回って来た。
さこにゃんとみつにゃんとにゃんぶvvv
雨降ってたので殿はビニール被っちゃってましたけども。
お土産に三成ラベルの日本酒とか、さこにゃんのカップ酒とか、しこたま買いました。家に届いたらウキウキ飲んでいると思いますv
長々と此処までお付き合いくださいまして、有難う御座いました!
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